原作の『天切り松 闇がたり』は、そもそも、読者のみなさんが大向こうにいて芝居を観ているような、そういうメージを持って書いたものなんです。ちょっと種明かしになってしまうんですけども、僕は(河竹)黙阿弥が大好きでね。黙阿弥の狂言を意識して書いたところもあるんです。だから当然、芝居にはふさわしい小説である、ということにもなるわけで。朗読劇として上演していただくと聞いたときは、本当に嬉しく思いましたね。
黙阿弥の狂言は、別にストーリーが面白いわけではないんです。どれもだいたい似たような話ですから。じゃ、何に惹かれるのかっていうと、黙阿弥の使う言葉の美しさなんですね。僕ら小説家は文章の美しさは意識するけれども、言葉のリズムっていうのは案外気にしていない。でも、黙阿弥にはそれがあるんですね。声に出して読んで気持ちのいい、音楽的なリズムの美しさが。だから、昔の芝居通っていうのは必ず黙阿弥の狂言をそらんじたものなんだけど。僕も20代の頃に黙阿弥全集を買って、声に出して読んでひとり悦に入ってたぐらい(笑)、好きでした。
そして、その言葉を使って黙阿弥が描いてるのは、江戸前の男気・女気だと思うんですよ。黙阿弥に限らず、歌舞伎の脚本のエッセンスというのは、結局、そこにあると思うんです。見目形ではなく、精神性が潔くカッコいい。生き方そのものがカッコいい。だから観客も、思わず「よっ、待ってました!」と声が出る。この『天切り松』もそういうふうに、読んでいて思わず声をかけたくなるような小説にしたかったんです。単に言葉面だけではなくてね。今では忘れ去られている江戸前のダンディズムというものを表現したかった。この小説にはいろんなタイプの登場人物が出てきますが、みんなそれぞれ違った形で江戸前の気性を持っています。表現の仕方は違うけれども、根底は同じなんです。