大正期の盗賊一家の伝説を、昔語りのスタイルで綴った『天切り松 闇がたり』。
その小説をいきいきとよみがえらせたと好評だった朗読劇の第二夜が、上演される。
原作者である浅田次郎さんが、物語に込めた思いとその舞台の魅力を語ってくれた。

江戸前のカッコよさという
原作の魂が見事に表現されている

 昨年に続いて『天切り松 闇がたり』が朗読劇として上演されます。第一夜を僕も拝見しましたけれども、これはもう、評判になると思いましたね。一度観れば、「また次も観たい」という声がかからないわけがない。そう思うほどの舞台でした。以前からいい役者さんだと思っていた、すまけいさんに語りをやっていただけたのが嬉しかったですしね。またその語りのなかにお芝居がスッと入ってくる。すまさんと鷲尾真知子さんのやりとりを観ていて、これはよく考えたものだなぁとしみじみ感心しました。そして何より、いちばんありがたかったのが、原作を大切にしていただいているということ。演出もゴテゴテしてなくてね。シンプルな形で原作の魂の部分をちゃんと演じてくれた感じがします。
 その魂とは、ひとことで言えば、江戸前の男気・女気ということになるでしょうか。見目形ではなく、精神性が潔くカッコいい。生き方そのものがカッコいい。今では忘れ去られている江戸前のダンディズムというものを、この小説では表現したかったんです。そもそも江戸っ子の気性というのも、ずいぶん誤解されてるんじゃないかと思うんですよ。江戸っ子の見栄っ張りなんていうのもね、見た目をカッコよくするっていうんじゃないんです。江戸は人口過密都市。人と人がすぐそばにいる。だから、周りの人に不愉快な思いをさせないよう身ぎれいに清潔にしておこう。そういう精神から生まれたものなんですね。
 だから、原作にはいろんなタイプの登場人物が出てきますが、みんな根底に、この江戸前の気性を持っています。読んでいて、思わず「よっ!」と声をかけたくなるような。すまさんも鷲尾さんも、それをちゃんとわかって演じてくれているんですよね。

『天切り松』を書き続けることで
東京弁に宿る精神を残していく

 『天切り松』には実在の人物もいっぱい登場します。第二夜となる今度の朗読劇で取り上げていただく「残侠」に出てくるのは小政。これも、あの大人物である清水の次郎長が大政・小政と並べ称した子分なわけだから、ひとかどの人物だったと思うんですね。じゃ、彼が大正時代まで生きていたら何をしたのだろうと。それを想像して書くのが楽しいんです。もうひとつの「宵待草」に出てくる竹久夢二もそう。こいつはたぶんイヤな男だったと思うんだけど(笑い)、こういう不良に女は弱いもので。竹久夢二が目の前に現れたとき、おこん姐さんだったらどうするのか。最終的に非常にカッコいい行動を見せますので、芝居が楽しみですね。
 僕も一度、朗読会でこの『天切り松』を読んだことがあるんです。いや、難しかったですね。自分が生まれ育った場所の言葉で書いてあるにもかかわらず。話すとやっぱり、どこか中途半端な標準語が入るんですよ。こうして言葉が滅びていくのは恐ろしいですね。その言葉に含まれてる精神性が滅びるっていうことですから。それはどんな事物が滅ぶのにも勝る、大きな文化の喪失だと思います。だから僕も、できるだけ東京弁を使おうと思いますね。「その『おめぇ』っていうのやめてよ」なんて、娘に嫌がられながらも(笑い)。で、『天切り松』を延々書き続けて、この言葉に宿る精神を残していきたいと思うんです。
 文庫本の最新刊(第四巻、3月刊行予定)では、すまさんに解説を書いていただきました。すばらしかったですね。本当に理解してくださっていると感じました。そのすまさんが演じる闇がたり、ぜひ多くの人に観ていただきたい。さすがプロだという語りです。またこの小説自体が、読むと元気になれるものですからね。自分で読んでも、背筋がしゃんと伸びる感じがしますもん。だから、この朗読劇を観ていただいたみなさんにも、元気になってもらえるはずだと思うんですよ。


2008.2.20 朝日新聞夕刊より

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